NHK杯将棋トーナメントでは、2016年10月現在、二歩の反則負けによって勝敗が決してしまった将棋が計3局存在します。
それぞれの対局において、「もし二歩が打たれずに対局が続行していたら、どのような展開になっていたか」というのを解析しており、前回は、豊川-田村戦を解説しました。
今回はNHK杯の二歩で決着がついた第2号局である、先崎学-松尾歩戦について、見ていきたいと思います。
本局(先崎-松尾戦)の概要
今回題材とする一局は、上記の豊川戦の1年後、2005年4月4日のNHK将棋トーナメントで放送された、第55回NHK杯戦の1回戦で、先崎学(当時)八段と松尾歩(当時)五段が対戦したもので、相矢倉の将棋から難しい戦いになったのですが、後手の端攻めを逆用し、少しずつ先手に形成が傾き、図の局面で△3六歩という二歩の手を打ってしまい、その瞬間に後手の松尾五段の負けが決まりました。
この将棋の解説を務めていたのは、竜王になったばかりの渡辺明でしたが、聞き手を務めていたのは、奇しくも先の豊川-田村戦と同じ千葉涼子女流で、松尾五段が二歩を打つ瞬間に「まさかー!」という悲鳴を上げていたのが印象に残っています。
△3六歩に代わる手は?
第2図は、△3六歩の直前の局面です。今、先手は▲6八にいた飛車を▲3八に回ったところなのですが、この▲3八飛が大変気分の良い手で、桂馬によって取られそうだった飛車が逃げただけでなく、この手が後手玉への詰めろになっています(放置すれば▲3三飛成以下即詰み)。
そのため、解説の渡辺竜王は、「投了したくなりますね」と言うほど、後手にとって形勢が厳しい局面となっています。
平凡に受けるのは…
第2図では後手玉に詰めろがかかっているし、先手玉も王手が続かない形なので、ひとまずは詰めろを受けるしかありません。しかし、平凡に△3四桂などと受けるのでは、以下、▲3三銀成 △同玉(△同金は▲4二銀で必至)▲4五飛成と、詰めろで銀を取られて全然ダメです(第3図)
4五の銀が浮いているため、桂を打って受けるのでは、銀を取られてしまって負けてしまうようです。
また、△4二金と銀を取るのは最悪で、▲同飛成以下、一間竜の形で簡単に寄ってしまいます。
取られそうな銀を逃げつつ受ける△3四銀
第2図から△3四銀は、部分的には、取られそうな銀を引いて陣形を引き締める、味が良い手に見えます(第4図)。
しかし、第4図以下、▲3三銀成 △同玉(△同金はやはり▲4二銀で必至)に、▲3四飛!と切るのがカッコいい決め手(第5図)で、以下どう応じても後手玉は即詰みとなります。手順は長いですが、それほど難しい詰み手順ではありません。
取られそうな角を逃げつつ受ける△4四角
取られそうな駒を逃げる意味では、△3四銀よりも△4四角の方がよいでしょう(第6図)。というのも、こちらの方が、先手がもし間違えると逆転する筋があるからです。
その筋というのは、第6図以下、▲3三銀成 △同角 ▲3四歩 △同銀 ▲同飛とした場合で、ここで△8八銀!という勝負手があります(第7図)。
この銀を取ると長手数ながら先手玉は詰んでしまいますし、放置してももちろん詰みます。正確に指せば、第7図も先手勝ちなのかもしれませんが、少し前の局面から考えると、流れは完全におかしくなっています。
もちろん、これは先手の「悪い例」として出した手順であり、プロ同士の対局ではこうはなりません。▲3四歩~▲同飛で、銀を取りに行った手順は「終盤は駒の損得より速度」という格言に反し、自玉の安全度も過信した、まずい手順でした。
第6図からは、下手に駒を渡さずに、おとなしく▲5三歩成と、と金を作っておくのが良いでしょう(第8図)。
この手は次に▲3一飛成からの詰めろになっており、と金で詰めろをかけられては、後手は粘りようがありません。駒も渡していないので、前述の△8八銀のような勝負手もありませんし、攻防ともに確実な手であると言えるでしょう。この▲5三歩成をもって投了という形でも、終局図としてはよかったかもしれません。
まとめ
前記事で検討した豊川-田村戦は、まだ数十手は熱戦が続くような手順もありましたが、本局に関しては、二歩を打たなかったとしても、後手の松尾五段が逆転にこぎつける確率は、ほとんどなかったと言えるでしょう。ただし、勝敗は別として、プロとして二歩を打ってしまったことは本人も悔やんでいると思います。
ネット上では「投了するのが嫌で、わざと二歩を打ったのではないか」等という心無い書き込みもありますが、どんな理由があろうと将棋を生業にする棋士が、テレビの対局で、意図的に反則をすることなどありえないと思います。第一、本当にわざと二歩を打ったのであれば、NHKがそれを放映するとも思えません。実際、二歩を打った後の感想戦では、解説の渡辺竜王や対局相手の先崎八段らとも、はきはきとした態度で受け答えをしており、嫌気がさして二歩をわざと打ったとは考えられないでしょう。
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